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立教ボーイのきじまりゅうたが料理家になった理由と家族・経歴も調査!

気取らず元気のよいトークが印象的な料理研究家、きじまりょうたさん。
実は小学校から立教に通うおぼっちゃま系男子でした。
この記事では、そんなきじまりゅうたさんが料理研究家になった理由と、そこに至るまでの経歴や家族についてまとめています。

きじまりょうたのプロフィール

名前:きじま りゅうた
職業:料理研究家
生年月日:1981年7月12日
出身地:東京都
出身校:立教大学(観光学部)
趣味:サーフィン、山歩き、音楽鑑賞

きじまりゅうたさんは、スーパーで買える食材を使い若い世代でも無理なくできるオリジナリティあふれる料理を紹介しています。

テレビ出演や書籍が多くあり、人気のほどがうかがえます。

きじまりゅうたの学歴

りゅうたさんは、小学校から大学までずっと立教です。
小学校で私立を受験したのは、ご両親がりゅうたさんのことを公立の小学校では浮くだろうと心配したからだそうです。

立教にしたのは、家が近かったから。

立教はキリスト教に基づく教育をする学校で、大学は共学ですが他は男女別々なので、ほぼ男子校育ちと言うことになりますね。

小学校は特に恵まれた家庭の子供さんが多い環境だったでしょう。

りゅうたさんはいつもキャップをかぶりラフなファッションで登場し、言葉遣いもカジュアルですが品が悪くならないです。
おそらく、こういう生い立ちも関係しているのではないかと思われます。

1月15日のあさイチに出演してキーマカレーを紹介した時は、
「レトロな喫茶店で出てくるようなキーマカレー。
池袋北口辺りの喫茶店」と言っておられました。

立教は池袋にあるので、この「池袋北口の喫茶店」という言葉にりゅうたさんのノスタルジーを感じました。

きじまりゅうたの母と祖母

きじまりゅうたさんが料理研究家になった理由を紐解く時、おばあさんとお母さんのことを外す訳にはいきません。

祖母は料理研究家の草分け

りゅうたさんのおばあさんは、村上昭子さん(1927年~2004年)という”料理研究家の草分け的存在”の方でした。

「キューピー3分間クッキング」のレギュラー講師を1985年4月から2年半、隔週土曜の講師として1993年4月から1年間活躍した方です。

日本人の食生活が変化する中、おふくろの味を伝えることをテーマに料理の紹介をしていました。

きじまりゅうたは母も料理研究家

お母さんは杵島直美さん(1954年生まれ)で、テレビ、雑誌、新聞などのマスコミだけでなく料理教室の講師としても活躍する料理研究家です。

NHKの「きょうの料理」などに出演されています。

おばあさんの村上昭子さんの時代とは違い、電子レンジや冷凍食品が普及した中でいかに効率的に料理を作るかを提案してきました。

きじまりゅうたの経歴、料理研究家になるまで

りゅうたさんは子供の頃からおばあさんの村上昭子さんと同居していました。

しょっちゅうテレビや出版社のスタッフが家を訪れ、家の台所で撮影が行われていたそうです。

子どもの頃からその様子を見て育ち、お手伝いもしていました。

高校生以降はアルバイト感覚で手伝いをしていたりゅうたさんは、おばあさんに自分も料理研究家の道に進みたいと相談したそうです。

おばあさんの答えは、なんと「まっとうな会社員になりなさい」だったそうです。

当時は男性の料理研究家はいない時代だったので、心配だったのだろうとりゅうたさんは振り返ります。

そして、大学卒業後はアパレルメーカーに就職。
ブランドの立ち上げなどに尽力しました。

就職して2年経った年におばあさんの村上昭子さんが亡くなりました。
お葬式で顔なじみのスタッフに、村上昭子さんが生前、孫のりゅうたさんのことを「味覚とセンスが良いと褒めていた」という話を聞いたのです。

アパレルの仕事に浮き沈みの激しさを感じていたこともあり、りゅうたさんは「やっぱり料理の道にすすみたい!」と思いました。


そして、アパレルの会社に勤めながら夜間に専門学校に通い調理師免許を取りました。

りゅうたさんは、お母さんの杵島直美さんに頼み約5年間、料理のアシスタントとして修業を続けました。
そして28歳で独立に漕ぎつけたのです。

29歳で目標だったNHKの「今日の料理」に初出演
その後順調にテレビ出演や書籍の出版を重ねています。