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豊ノ島(井筒親方)の年収や妻との馴れ初めを調査!嫁は元歌手でミスコングランプリ?

2020年春場所で現役を引退した豊ノ島。30代で幕下に落ち収入も相当落ちたはずです。豊の島を支え続けた妻とはどんな方でしょう?

この記事では、豊ノ島関(井筒親方)の年収や妻との馴れ初めと、その奥さんが元歌手でミスコングランプリ受賞者だったのか?をまとめています。

豊ノ島(井筒親方)のプロフィール

本名梶原大樹(かじわら だいき)
四股名豊ノ島 大樹
部屋時津風部屋
誕生日1983年6月26日(37歳)(2020年7月9日現在)
出身地高知県宿毛市
出身校高知県立宿毛高校
身長169㎝
体重166kg
趣味音楽鑑賞、カラオケ、ボーリング、釣りなど
小学校3年生まではサッカーをやっていました。
中学時代には、全国中学相撲大会の個人と団体両方で優勝しています。

初場所は、2002年1月場所で、高校卒業を待たずに入門しています。

豊ノ島(井筒親方)の妻のプロフィール

 

本名梶原 紗帆(かじわら すなほ)
芸名竹内 沙帆(たけうち すなほ)
誕生日1981年6月20日(39歳)(2020年7月9日現在)
出身地富山県高岡市
出身校同志社女子大学
身長172㎝
体重54kg
趣味スポーツ観戦(特に柔道、野球)

なんと、柔道の有段者です!
中学時代に富山県大会で優勝!
強いですね!

<ミュージシャンとしての活動経験>
17歳の時に、母のすすめで応募したオーディションに合格。
NHKの企画で、秋元康プロデュースの富山県の歌、「ヒスイ海岸」を3人ユニット「きときと」としてリリースしました。

同志社女子大学時代は「ミス京都コンテスト」でグランプリを受賞。

ミス京都の活動がきっかけで、女性ボーカルユニット「PACHAMAMA」のメンバーとなりました。

その後、ソロ活動や新しいユニットでの活動を繰り返し、テレビアニメのオープニングテーマ曲や、映画公開された「ペンギンの問題 幸せの青い鳥でごペンなさい」などのテーマ曲を担当。

<プロレスのリングアナも担当!>
2010年から2年間にわたり、SMASH(プロレスと総合格闘技の団体)の、プロレス部門のリングアナウンサーとして活躍しました。

 

豊ノ島関(井筒親方)と妻との馴れ初め


2人の出会いのきっかけは何だったのでしょうか?

妻との馴れ初めと結婚の条件

出会いは2009年です。
豊ノ島関は、2008年には敢闘賞、殊勲賞を受賞していて、脂が乗った時ですね。

2人の共通の知人の誕生会で出会いました。

豊ノ島関が一目ぼれしたそうです。
押しの一手に出た豊ノ島関、土俵の外でも頑張りました。

ですが、紗帆さんも一筋縄ではいきません。
結婚するには、力士として成績の条件を付けました。
それは、二桁勝利と三賞の受賞!

奮起した豊ノ島関は2009年の11月場所で14勝1敗、敢闘賞と技能賞を獲得します!
愛の力は強い!
この時の1敗は、優勝決定戦での白鵬との一番でした。
惜しかった~!

沙帆さんは、ずっと豊ノ島関を支え続け、可愛いお嬢さんにも恵まれます。

豊ノ島の成績

最高位は東関脇。

十両優勝2回 2005年9月場所、2010年9月場所
序二段優勝1回 2002年5月場所
序の優勝1回 2002年3月場所

殊勲賞3回
敢闘賞3回
技能賞4回

金星4個(白鳳、日馬富士3個)

2004年の5月場所で十両入りしました。
20歳の時ですね。

相撲界では、関取以上と幕下では大きな差があり、収入を含めた待遇が大きく違います。

豊ノ島関は、2016年にアキレス腱断裂。2場所休場を余儀なくされました。
11月場所では33歳の幕下力士として復帰しますが、負け越しました。
その後、2018年の9月場所まで、約2年間、12場所にわたり幕下力士となりました。

33歳で幕下生活はかなりつらいと思われます。
場所での取り組みは7日間だけ。
縦社会での待遇はあからさまに低くなり、自分の部屋もありません。

収入も家族を養うにはほど遠いものになります。
なんと月給がないのです。
場所ごとに手当てが出るだけで、休まず出場しても100万に手が届きません。
この時、豊の島は既に結婚し、娘さんも生まれていました。

豊ノ島は引退も考えましたが、相撲を続ける決心をしました。

そして、35歳で関取に復帰!
娘さんに関取として相撲を取るところを見せてあげることができました。

豊ノ島(井筒親方)の年収

2016年にアキレス腱断絶で休場する前は前頭7枚目でした。

この番付での推定年収は、2000万円を下りません。

2000万円台から100万円以下へ!
なんと言うジェットコースター状態!

幕下に落ちた時に、住まいを狭い所に引っ越すなど、節約にも努めたそうです。

関取に復帰した時には、奥さんが豊ノ島関に
「お給料が入っていました。ありがとう」と伝えたそうです。
豊ノ島関も奥さんも色々な意味でホッとされたでしょう。

拍手を送りたい豊ノ島の相撲人生

2020年初場所で、負け越した豊ノ島関。
その時点で、引退を考えましたが、お嬢さんに「お相撲さんのままでいて欲しい」と泣かれ、引退を踏みとどまりました。

ですが、とうとう春場所でも負け越し引退を決意します。

18年に及ぶ相撲人生、豊ノ島関自身の良い時期、辛い時期、また、相撲界にも色々な出来事がありました。
ご本人は「短かった」と振り返っています。

本当にお疲れさまでした。

本人と支えた家族の愛が素晴らしい

引退することを娘さんにわかってもらう必要を感じた豊ノ島夫妻。

紗帆さんが時間をかけてお嬢さに話をして、わかってもらったそうです。

豊ノ島関は、「(家族がいなくて)1人だったらダメだった」と振り返っています。

家族の愛情が、35歳の力士に力を振り絞って最後まで相撲を取らせたのでしょう。

これからは、井筒親方として相撲界を牽引する立場になる豊ノ島関。

応援しています。

引退を発表した後には、紗帆さんが感謝の気持ちをツイートしました。

今まで沢山のあたたかい、ご声援本当ありがとうございました!!!
感謝の気持ちで一杯です☆
これからも、家族共々よろしくお願い致します☆
@SUNAHOsmile

ツイッターのファンの声

人柄が穏やかで、お話も面白い豊ノ島関を大勢のファンが応援していました。
コロナで無観客になり、引退の場所にお客さんが入れなかったのは本当に残念でした。

ツイッターには、色々な応援の声があがっています。

これまでの相撲と向き合う姿勢や着物の着こなしなど若い人達がお手本に出来る事がたくさんあります。
井筒親方となられても応援させていただきますね。
@tittyai69

ファンはずっと声援を送り続けると思います。

何時づ親方も奥様も、これからも体に気を付けて頑張ってください!